ぶっちゃけ神速中国語講座ブログ

中国のエキスパートである著者が厳選した中国語学習に役立つ情報や現地広州から生の情報をお届け。語学を活用して皆様の資格取得や年収アップをお手伝いします。

Month: September 2021

中国語で仕事を見つけた!!今日は皆さんに少しだけ自分のことを話したいと思います。

中国語で新しい仕事を見つけた!!今日は皆さんに少しだけ自分のことをお話したいと思います。 改めまして、『ぶっちゃけ神速中国語』の著者、石風呂貴一(いしふろきいち)と申します。 現在は中国・広州で翻訳会社に就職し、対日事業部副部長として日々を忙しく過ごしております。 ・・と言われても、そもそもお前は誰やねん!!どうして今その年齢で単身中国におるんかい?と思われている方もいらっしゃるかと思います。 今回は、あまり人には話さない自分の来歴と過去についてお話したいと思います。 目次 腑抜けた大学時代 スーパーの店員になる 書籍執筆から中国留学へ 中国現地で人生逆転!!転職&年収150万円アップに成功!! 腑抜けた大学時代 25歳離職中、スキルは運転免許と武道の段位だけ・・・もちろん独身、絶賛フリー(汗) それが中国語を学び始めた時の自分の初期ステータスでした。 今でこそ、中国の大学院を卒業し、中国語の専門職として毎日中国語を使う仕事をしている私ですが、実際に中国語の勉強を本格的に始めたきっかけは、本当に思い出すだけでも恥ずかしくなるような、情けないことがきっかけでした。 経験・スキルもないのにどうやっていい仕事を見つければいいんだ??そんなどん底の中で見出したのが、唯一自分の趣味とも言えるぐらい好きだった中国史でした。 もう10年以上も前の話、高校3年生だった私は運よく大学受験をストレートで合格し、とある地方の国立大学に進学しました。 元々勉強自体は決して嫌いではありませんでしたが、それ以上に毎日友人とゲームセンターに行っている方がよほど好きだった自分は、大学生になった瞬間から「全て終わった」とばかりに、ゲームセンター、居酒屋、ナイトバー・・・とタガが外れたように遊び惚けるようになりました。 2年生になる頃には、授業をサボるなんてことも普通になっていきました。理由は毎日徹夜でゲームをしては朝寝坊をすることが増えてきて、朝一番の授業に出席するのが億劫になっていったからです。 その流れで、アルバイト先とも待遇で揉めたことがきっかけでバックレ、以後はバイトさえしなくなりました。 よくある話ですが、元来マニア気質で幼少期から「変わった奴」「個性的」「存在がネタ」というキャラであったことから、広く人と交流をしたことがなかったから、大学で似た境遇の友人と仲良くなっていくうちにこれまでにない居心地の良さを覚えて、いつしか遊びに溺れるようになってしまったのです。 それでも、専門の中国史と部活動だけはまだ真面目にやっていました。しかし今から振り返るとそれはあくまで「学生」の範囲内での話。将来にどうつなげていくか・・・そういった視点はこの時点では一切ありませんでした。 そんな状態で、大学3年生の冬に入り、流れに飲まれるように就活を始めました。歴史が好きだったので院進もしたいなあ・・とは考えていましたが、実力のなさに絶望して就活を選択。 しかしそんな目標も夢もない状態で流れに乗っただけの就活では、何社受けようと、どんなに場所を選ぼうと一次面接さえ通らない日々が続きました。 時には面接のために四国→東京(4日間)→広島(3日間)→大阪(2日間)→四国というスケジュールをこなしたこともありましたが、結果は同じです。まさに、徒労というヤツですね。 周囲はもう内定を複数キープ、教員・公務員採用試験に受かった!!という知らせだらけになっていた大学4年生の8月、このまま遠方で就職を目指しても埒が明かないと思った私は地元・広島へ帰り、とあるローカルスーパーに駆け込むように応募し、内定を頂きました。 スーパーの店員になる こうしてどうにか現役卒業で社会人にはなったものの、できないなりにも自分が大学4年間で専門として学んできたこと、夜遊びで覚えてきた年長者との接し方等、その全てがまともに活用できない日々を送りました。 「大学で覚えてきたことは、全て忘れろ!!ウチの仕事だけを覚えておけばいい!!」 それが最初に研修で配属された店舗で先輩から言われたことでした。 この言葉通り、日々の仕事はただ言われたことをこなすばかり。創意工夫をする余地もなく、ただただ毎日が過ぎていく。そんなモチベーションでは給料も上がらず、毎日どうでもいいことで上司や先輩から𠮟られてばかり。 会社の同期と比べても、片や入社半年でもうチーフに昇格、発注や仕入管理を任されている。アルバイトからは「~さん」「~チーフ」と呼ばれる。でも自分は未だに作業しかやらされず、呼び方は「~くん」。自分が好きで学んできたことを発揮できないフラストレーションは、だんだんと自分のメンタルを悪いほうへ悪いほうへと持っていきました。 SNSで友人の近況を覗いてみると、自分とは全然違って日々の社会人生活を楽しんでいる姿が・・・彼らは社会人になって学生時代よりもさらにイキイキとして見えました。自分はどうだ?社会人生活を楽しむ気持ちなんて一切湧いてこないし、接客にしたって売上と関係ないクレーム処理やお客様の愚痴を聞いてあげるばかり。 そして自分とは無関係の話で自分がお客様に捕まったというだけで頭を下げる・・・ orz//// こんな毎日、何が楽しいんだよ!!そこでふと思いました。ここまで進学→就職とストレートで通り過ぎて、自分には何も残っていないじゃないか!!資格?スキル?そんなもん大学時代に遊びすぎて全部捨てたよ!!ああもう、バカだな俺は!!!! それまでの人生ではあまり大きな失敗をしたことがなかっただけに、当時の自分はこの現実に向き合うだけで穴があれば入りたくなる気持ちでした(泣;) こうしてスーパーの仕事で自分が生涯を過ごしていく姿が全く浮かんでこなくなり、2年足らずで退職。24歳の時でした。 書籍執筆から中国留学へ そこからはクラウドワークスで見つけた電子書籍の執筆をしたりして過ごしていました。その頃に以下のような書籍を複数出版させて頂く機会も頂き、心理的には充実した日々を送っていました。↓↓↓ しかしそれだけで食っていくにはお金が足りない。でもまだ24歳だし、今なら転職できるんじゃないか?? そこで軽いノリで転職活動を始めるも、実に数十社以上の会社を受験して全滅。。。この時は職業訓練校を経てMOSを取得していましたが、MOSのように短期間で取得できる資格では「資格でスキルアップ」とは行かず、新卒の時と同じく苦戦、苦労して最終面接までたどり着いた一社も、「性格診断テスト」がウチと合わない、なんて理由でボツ!!! 「転職活動など若さとノリで行けると思っていたのに。。無職、勿論彼女無し、気が付けば親に生活費を工面してもらう情けない自分。。。」 人によっては若さとノリだけでも転職はできるでしょう。しかし、そんな人は1億人以上いる日本でも数千人程度の恵まれた人達でしょう。私は残念ながらそちら側の人間ではありませんでした。 25歳離職中、スキルは運転免許と武道の段位だけ・・・もちろん独身、絶賛フリー(汗) こうして、最初に話したこのステータスの状態にたどり着きます。この「空白」の期間、親にもたくさん迷惑をかけました。生活費を出してもらっているのはもちろん、転職についてアドバイスをもらったこともありましたが、どうも自分にはそれを忠実に実行して他人と同じように「成功」できる素養はなかったようです。 そんなどん底の中、一度自分の人生を振り返って見ました。 学生時代唯一心血を注ぐことができた中国史、しかしそれを社会で活かす方法は院に進学→学位を取得→論文発表→学者になる・・・という黄金ルートだけなのか? それは違う。というか、俺は外国の歴史について研究していたのに、外国のことを知らなすぎる!!ゲームがきっかけで覚えてきたウンチクだけでは、 体験にリアリティがないんだ、だから俺は社会に通用しないのか!!! そう思い、「中国」というキーワードからたどり着いたのが、中国語だったのです!! 中国現地で人生逆転!!転職&年収150万円アップに成功!! こうして中国語を独学し始めた私。しかしただ日本で語学を勉強して資格を手に入れたとしても、ペーパーだけでは以前のMOSの時を何も変わらない。 それなら一層、留学でもして箔を付けようと思い立ち、一念発起。 とにかく現地に行けば何とかなるだろ!!そう思い、日本で半年独学で中国語を学習した後に、実際に(無試験で入れる)語学留学生となりました。。。早速、現地で教科書で勉強した中国語を試してはみたものの、街中では自分の「教科書中国語」は全く通じませんでした。 例えば、日本の中国語の教科書のほとんどは、「初めまして」から教えますが、現地ではそんな堅苦しい挨拶をする人は皆無でした。。。 […]